『ご注文はうさぎですか? BLOOM』「第7羽 今夜は幽霊とだって踊り明かせる Halloween Night!」感想メモ

 

1 母親の思い出を介して2人が出会い直すこと

 Bパートの終盤、ココアがサキ(チノ母)に対して「ちゃんと御礼を言えなかった」と言うあたりから。この時点では自らの会った誰かがサキだとは気づいていない(状況証拠を積めば、ココア自身でおそらく気づくことも可能だとは思うが、明示されているわけではない)。

 千夜「ご先祖さまも空に還っていくのね」とハロウィンの終わりを告げるなかで、チノは母親のことを思い涙ぐむ。

 ココアはサキがチノによく見せていた手からアメの出る手品を見せて元気づけようとする。

 場面は幼少期のチノとサキの在りし日の姿を映し出し、チノとココアのやりとりと重なり合う(このあたりから涙が止まらない……)。以下、ココアとチノのやりとりを抜粋する。

 チノ「母がその手品、得意だったので」
 ココア「もっとお母さんの話聴かせて」

 最初は、姉としてのココア、ないし母親の役割を引き受けているココアのことを考えていた。そういう面が無いわけではないと思うが(おおありだと思うが)、個人的には、死者であるサキの思い出を通して、ココアとチノが改めて出会い直したことが重要になるのではないかと思い直した(もちろん、「出会い直した」というほど劇的なエピソードが展開されていたわけではないが……)。

 うまく言葉にできないが、代理的な存在として疑似家族をやっていくことから一歩踏み出して、真に親愛な関係を取り結ぼうと思うなら、チノの母親とどう向き合っていくか、あるいは母親に対するチノの思いとどう向き合っていくかが、避けては通れないプロセスであるような気がしている。(そこまで重たい話ではないのは重々承知しているが。また、断片的にしか知らないのでなんとも言えないが、めぞん一刻の墓参り的なものを想起した。)「母親の思い出を話す」という対象化の作業をしつつ、ココアと一個の人格として関係を取り結ぶことは、チノの(そして翻ってはココアの)自立のプロセスのひとつであり、そのことはこの3期で展開されるチノの進路周りの話に厚みを与えているようにも感じた。


2 聴こえない死者の声を聴くこと

 千夜「ハロウィンって死者の魂が戻ってくる日よね」
 千夜「ご先祖さまも空に還っていくのね」

 ハロウィン(のお盆的機能・読み替え)に関しての解説役は一貫して千夜に任されていたふしがある。正直このことに特に意味はないと思うが、祖母(先祖)とのつながりの強さであったり、関係するのだろうか。

 このハロウィンにおいて、サキとココアが出会うある種の必然が一応はあった。ココアは魔法使いの仮装をしていたこともあり、「冥界の仲間だと誤解」させるには足りるだけの格好をしていたのだと思う(それでは、チノが魔法使いの格好をしていたら、サキと会うことができたのだろうか?それはわからない)。話の流れとしては、「チノをよろしく頼む」というのをもっていきたい、というのもあると思うが。

 サキとココアのやりとりの場面について。サキはジェスチャーでココアとやりとりをしている。ジェスチャーにともなってかすかに声が漏れることはあるが、意味のある言葉を意図的に発することはしない。このことは、ごく単純に考えるならば、死者はそもそも言葉を発することはできないという厳然たる事実を映している。生きる者は死者の言葉にならない言葉を感じ取ることしかできない。(これを書いているときに、ココアがサキのジェスチャーを勘違いするボケを、本来的には感得することのできない死者の言葉をそれでもなお傾聴しようとする行為として解釈(というか妄想)してしまい、なんだか笑えなくなってしまった。)

 その一方で、「迷子」になったココアを呼びかける3人。生者同士の声が届き、交わされること、そして生者の声によってあの世とこの世の狭間から戻ることが意味していることはなにか。死者と生者の交信とは異なり、「声」を介した呼びかけや応答は、生者のために存在している、生者の特権なのかもしれない。

 ごちうさという作品の特徴のひとつがキャラクター同士の掛け合いにあるとするならば(ごちうさに限らないかもしれないが……)、その掛け合いは生者の声によって成立しているのだ、そんなことに改めて思いを馳せた次第。

3 その他

OVAについては未視聴……。はやく見ます。
:「声」「言葉」「掛け合い」「死者」「生者」といった個々の言葉の意味合いについて、もう少し慎重に考えたい。が、そんな時間は捻出できない……。