『たまゆら』を見て?竹原をぶらついてきた話
某地方にしばらくの間滞在することとなり、そのついでで某日に竹原に行ってきました(状況が状況ではあるのですが……)。二日酔いのグロッキー状態かつ天候も微妙でかなりインスタント巡礼で恐縮です(作品との比較もまったくないですお恥ずかしい)。以下備忘録。
一応、たまゆらの巡礼ということになるのでしょうか?2期を見たっきりであまり記憶が……。観光案内処でもらったマップに沿って中心部をぶらついてきました。
竹原駅を降りてすぐ、「おかえりなさい」の文字。※撮影したのは帰るとき。
商店街ではなく、東(郵便局の方)に進み、礒宮八幡神社に。ぽって達が初詣をした神社。
こ、これはももねこ様……。ご当地ゆるキャラになっていっているのだろうか。
国道185号線を北上し、道の駅たけはらで休憩。たまゆらの看板がお出迎え。
町並み保存地区に到着。このあたりは旧笠井邸(微妙な写真しかなかった……真ん中の方)。「私達展」の開催場所。
ひたすら本町通りを直進。西方寺に到着。石垣が立派?
西方寺からさらに上へ登っていく。ぜえぜえ……。
普明閣に到着。市内を一望できるスポット。
西方寺の向かいにはほぼろのモデルの「ほり川」。あいにくランチタイムは終わっていた。
さらに通りを直進。途中、町並み保存センターに寄って休憩。憧憬の広場に到着。当たり前だけども竹トンネルは無く、竹鶴政孝・リタ銅像がお出迎え(マッサンのモデル)。(今更ですが)お酒とか塩が有名な町。
隣の歴史民俗資料館で少し休憩+お勉強。賴惟清という江戸時代後期の偉人には春水(当時著名な儒学者)・春風(医者)・杏坪(広島藩の儒学者、『芸藩通志』の編纂)という3名の子息を育てた(次男は早世)。春水の息子が賴山陽で、『日本外史』を執筆。
資料館と修景広場の間の小道と坂道をあがっていくと、おかかえ地蔵が見えてくる。これ実際に抱えてみましたが重すぎました(ひ弱)。
本町通りの終着点?胡堂。
胡堂のあたりを右折して照蓮寺。大晦日のシーンで登場。
楠通りの方に出て、旧日の丸写真館に。
その後は帰りの電車の時間もあり、新港橋を渡り、あいふる316商店街を足早に抜けていく。各キャラのパネルが店先に飾ってあった(写真無し)。商店街はなんというかひっそりとしており、中島愛の「夏鳥」だけが通り一帯に流れていた……。
保存地区以外も機会があれば行ってみたい。本当に「ただ行ってきた」だけの記録で恐縮ですがそれでは……。