『フラ・フラダンス』感想メモ

 『フラ・フラダンス』をだいぶ前に見て来たのだった。自分の解釈がだいぶズレてるんだにゃ~と思いつつ、感想メモを残す。前もっていろいろすみません。

■災害後の地域社会を描く

・もはや自分の記憶にしかないので半分捏造な気もしてきたのだけど、日羽の実家の美容院がかなり切り立った崖?の上にあったように見えた。見返さないとわからないのだけど、いわき市内の山間部?にも甚大な被害があったということなのか。

・真理の墓参りで日羽と鈴懸さんが鉢合わせする場面について。場面としては、月命日(バレンタイン前、2月11日か)に鈴懸さんが(おそらく)真理に対する想いに区切りをつけ、実家に帰ることを日羽に告げる場面(+日羽の実質的な失恋)。関係が動く場面なのでそこに気を取られがちなのだけど、改めて思い返すと、あの無機質な墓の並びのそれぞれに、もしかしたら(言葉は悪いけれど)災害における死があるかもしれず、加えて10年が経つなかで各人がいろいろな踏ん切りをつけているのかもしれない、と思った。焦点はそこではないので、各墓石はひっそりと佇んでいるだけなのだけど。

■常に近未来のハワイアンズ

ハワイアンズの描写について。いくつもの層が重なった場所である。炭鉱からレジャーへ、という歴史における層。そして、災害によって生じた観客席の段差の「ズレ」(くさいことを言えば、あの段差は鈴懸の心のひっかかりだったのかなという気もする。ハワイアンズ全体をメンテナンスすることはできても、どうしても直せないズレと言ったら良いのか。いやもちろん本人は「乗り越えられるよ」と言ってはいるけれど)。さらに、災害後の年月、日羽達の青春。なのだけど、ハワイアンズに感じる近未来感はなんなのだろう。すっきりしすぎ?(汚く描いてほしいとかそういうことではなく)。そのような歴史的なものを良い意味でも悪い意味でも無化してしまうのが、リゾート施設なのだろうか。別の言葉で言うならば、常に近未来を(=前に進むことを)運命づけられている?

・「常に近未来」という話の連想で、ハワイアンズのダンサーはおそらく30歳そこそこで一線を退くようだ。あやめの話だけなので、一般化できるかわからないが。常にダンサーの新陳代謝、入れ替わりが運命づけられているのかもしれないと思うと、少し切なくなる。日羽たちも10年も経つと引退を考えはじめるのだろうか?

■CoCoネェさん

・CoCoネェさんに真理が移ってることを割と終わりの方まで気づいていなかった(節穴なので……)。CoCoネェさんの霊性について、金菱清の震災学のような、死者と残された者の交わりを想起していた(それほど詳しいわけではないが)。

・たしか、同じ時機にサクガン、先輩がウザい後輩~、セレプロで早見沙織の声を聴いていたので、便利屋としての早見沙織を思った。

・ラストの日羽の「私はここにいるよ」というのが今ひとつよくわかっていなかったりする。消えていったCoCoネェさん、というか真理に対して、私は元気でやっているよと叫んでいるのかもしれないし、仕事をはじめて1年が経つ頃、ハワイアンズでようやく自分の居場所を見定めることができた、ということかもしれない。面接の際の笑顔を取り戻せる?までになっていた。

■その他

・考えてみれば(考えてみなくとも)、真理を失ったことで生じた穴を埋めるように、それぞれが生きてきた気がする。笑顔を失った日羽の父と母、プアラを継承したあやめ、どのような関係があったかあずかり知らないが同期の鈴懸、そして日羽。

・カンカンがホームシックになったオハナを励ます場面、正直めちゃくちゃ好きです。キモオタだから……。

・しおん、入寮したときにコンビニ?行くために山道を自転車漕ぐ場面があった気がするけれど、2クールとか4クールとか話数があれば、たぶん脱走して実家帰りそうな回があったと思う。

・同期同士のチームワークを深めていくこと、姉妹の因縁、先輩をいかに乗り越えるか、社内恋愛等、やっぱり1年4クールをこちらでもしかしたら脳内補完するしかないのかもしれない。

・いついろディライト!!(劇中アイドル)の曲を日羽達に使わせるの結構アクロバティックな気もした。でも(いついろ出してくるの含め)結局そういうの好きなんですね、ぼくはキモータだから……。