『ウマ娘 プリティダービー』「BNWの誓い」先行上映会に行ってきた

はじめに

  『ウマ娘プリティーダービー』「BNWの誓い」の先行上映会に参加してきました。第二部の参加です。とりあえず走り書きですが、自分用に備忘録を残しておきます。ネタバレありなのでその点ご容赦ください。細かい点はあまり思い出せないのですが……。必ずしも時系列にはなっていません。

 

「BNWの誓い」本編

 まず、OVA3話分という結構なボリューム。映画1本分に迫るかどうか。話の大きな軸は、ファン大感謝祭とその目玉である駅伝イベント。駅伝イベントは、歯車がどうも噛み合わなくなったBNW(ビワハヤヒデナリタタイシンウイニングチケット)の三人の再起のために、シンボリルドルフ並びに生徒会が考えた目玉イベント。

 感謝祭の実行委員を任された(トレーナーのくじ運の悪さ)チームスピカ。学園内の催し物の確認をしてまわる。ユキノビジンの岩手物産展、ハルウララの高知物産展、ゴールドシチーの美容院。わんこそば大食いイベントにオグリキャップスペシャルウィークは興味しんしん。

 スペシャルウィークオグリキャップのぼて腹は健在。スペシャルウィークの頼んだ学食の山盛りごはんとハンバーグが場面転換の一瞬で無くなったのは笑った。

 とはいえ駅伝イベントにすんなりBNWが参加するかというと、そうではなく、チームスピカによる説得が始まる。例外として、ビワハヤヒデはすんなり了承する。ぎこちない三人の関係をどうにかしたがっている。

 ウイニングチケットに対する説得ではスペシャルウィークの名(迷)茶番・演技が光る(某名シーンの再現)。劇場内で一番笑いが漏れた場面。「いやいや文脈すっとばしてそれだけ再現してもね」という。しかし、これが功を奏してウイニングチケットの悩みは吹っ飛び、出走することが決定。

 最後のナリタタイシンが曲者。結局出走するかどうかの目処が立たないまま本番を迎える。ダイワスカーレット(アクシデントで駅伝に出走できない)達が奔走する。なお、ゴールドシップのズタ袋は役に立たず(当たり前か)。

 ナリタブライアンが自信を喪失したナリタタイシンを説得する。ナリタブライアンは自身も一番人気のレースで大敗した経験を持つ。しかしその際にこれまでできるだけシャットアウトしていたノイズ、応援の重要性に気付く。タイシン「自分を信じられない」ことへの恐怖。

 ビワハヤヒデが雨の中探し出した四つ葉のクローバーのしおりを受け取ったことで、ナリタタイシンの気持ちが揺らぎだす。BNWが練習の無い日でも三人でつるんでいた神社(チョコでも割って分け合ってるのかと思ったらにんじんだった)。

 第7区出走前のインタビューでウイニングチケットビワハヤヒデナリタタイシンに向かって「お前のいる場所はそこじゃないだろ」と呼びかけ。これがきっかけとなり第7区に走り出すナリタタイシン

 到着したタイシン。一方、クローバーを雨の中探していたビワハヤヒデは発熱してドクターストップがかかってしまう。ビワハヤヒデの代わりにナリタブライアンが走ることになる(ビワハヤヒデナリタブライアンの姉妹関係を感じさせる)。(タイシンの替え玉だったサンバイザーがギャグ要員として良い味を出していた。)

 最終的にタイシンが一着でゴール。チームNが優勝かと思いきや、ゴールドシップがショートカットしたので失格。二着のビワハヤヒデ及びチームBも、メジロマックイーンの斜行で失格。チームWもスペシャルウィークのたすきの受け渡しで失格。(三人ともチームスピカ。)

 駅伝ではBNW三人が揃って走る、ということにはならなかったが、大阪杯では揃って元気に出走。一時は引退まで考えたナリタタイシンが「次もその次も三人で走ろう」と締め。

その他、感想、トークイベント(覚えてる範囲で)

・スイーツってそんなに喜ばれるものなんですかね。連呼に若干食傷気味なものを感じないわけではなかった。いや高級スイーツ1年分とかあったらそりゃ嬉しいですけどね。
マンハッタンカフェは声低い系小倉唯さんだった(キュアエトワール系?)。
・第一区のライスシャワーがちっこくてかわいかった。
・感謝祭&駅伝で多数のキャラクターを出すことのできる構成になっていた。とはいえなかなか覚えきれないですね……。
アグネスタキオンダイワスカーレットの絡みについて。
ダイワスカーレットの父親はアグネスタキオン
トークイベントで木村さんは感無量だと言っていた。
・(トークイベント)BNWの収録は意外と息が合わなかった(ラストでセリフを重ねる場面など)。一方でゴールドシップエアシャカールは息があっていた。青二プロ強しらしい。
・(クイズコーナー)観客からの示唆による不正が続出するガバガバコーナー。商品はルコントのフルーツケーキ? キャストみんなで食べれば良いと思う。
高野麻里佳さんがイベントで話しているのをはじめて見た(今回は司会役)。話しているときの声はさっちゃん(三ツ星カラーズ)に割と近いのかなと思った。

 トークイベントで話されたこととか案外思い出せないですね。すみません。

 最後に和氣あず未さんが言っていたように、ずっと続いていく可能性を持っている作品なので、第二期とか映画とかあれば嬉しいですね。ゲームはまあそのうち出るでしょう……。サイゲームのイベントが12月にあるようなので、そのときにはなにか発表あるんじゃないでしょうかね。おしまい。 

 

(2018/12/15(土)追記)
ゲームのリリース延期……とのことです。

 
(2021/2/12(金)追記)
ようやく……

『アニマエール!』第1話「はじめてのチア」感想メモ

はじめに

 2018年10月~12月(一部2クールだか4クールだかの放送)期の深夜アニメの放送が始まり、だいたい1話終わった頃だと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。

 振り返れば8月は猛暑で体調を若干崩しがちだったのだと思います(多分……)。9月は多少過ごしやすくなったとはいえ、繁忙期がやってきていろいろ厳しい月でした。今は比較的暇になりましたが、緊張の糸が切れた反動が大きく、10日ほどいつも以上に生産性の低い日々を過ごしていました。 

 今回のエントリはメモ書き程度ですが、『アニマエール!』1話を見て感じたことについて書き残しておこうと思います。

 1話のメインは以下の三人。メインはもう二人ほど増えそう。
・鳩谷こはね(CV 尾崎由香):おざぴゅあ。野乃はな枠。自己犠牲の化身。勧誘のしつこさは高海千歌枠。
・猿渡宇希(CV 井澤美香子):こはねの保護者ポジション。(こはねとの関係において)なんか報われなさそう。
・有馬 ひづめ(CV 山田唯菜):真面目っ子。結構ボケボケ。後述の通りチアにトラウマ。

ひづめのトラウマ

 アバンはLove&Joyのカバーにあわせて、ひづめの所属するチアリーディングチームが河川敷で応援をしている場面。アラサーの人には懐かしい選曲かもしれない。原曲は2000年に発表された木村由姫の曲。浅倉大介access)プロデュースで、花村大介というドラマの主題歌だった。ドラマを見た覚えは無いがCM等で聴いていたのか印象に残っている。プロ野球でも馴染みのある曲だというのを放送中の実況で知った。カバーを担当するのはXAI。GODZILLAの主題歌を担当している方。東宝

 こはねが河川敷でひづめのチアを見たのは3月という中学を卒業するかしないかで、高校に入学するまでの割と暇な時期。4月、いざ高校に入学しチア部に入ろうとするも部は存在しない。入学式で新入生代表の挨拶をつとめたひづめが、あの時のチアの子だと気づいたこはねは、チア部を作って彼女を勧誘することに。

 勧誘のなか、ひづめはチアはもうしないと意固地になっているが、こはねの人柄や熱心さに少しずつ絆されていく。しかし、こはねに「有馬さんは特別」と言われたことで、ひづめのトラウマスイッチが発動してしまう。「特別」という言葉は、ひづめにとっては過去に所属していたチームの面々からかけられたある種呪いの言葉、チームメイトとの実力差(そしてチアに向き合う姿勢)が開いていくばかりのひづめ自身の足を引っ張ってしまう言葉だったのだろう。

 ひづめの所属していたチームの面々をアバンでしっかり映しながらも、結果的にひづめはチームを追い出されるようにしてやめるハメになる。この落差は割とエグいと思う。あんな笑顔振りまいてきびきびとやっている裏で、ああいう陰険なギスギスがあるなんて……。(いや別に表の応援と裏のギスギスは排他ではないのだけど。)陰険さに拍車がかかるのは、トラウマスイッチ発動後、河川敷を通りかかり在りし日のチアを思い出すくだりでチームのメンバーの顔が映らなかったことも関係しそう。

 一方で捨てる神あれば拾う神あり。チアのスタンツは相手への信頼があってこそという(おそらく)本質を初心者ながら、いや(行き過ぎた利他心とエゴの表裏一体はまあ置いておくとして)利他心の塊だからこそ見抜くことのできたこはねは、チアに未練を残しつつも絶望していたひづめを文字通り救うことになる。(「チアをやってもやらなくてもひとりになるんですね……」のカットは、まるで世界にたったひとり取り残されたような彼女の孤独や絶望を引き出しているように感じる。)

こはね=サーバル?  

 いや泣くところではないのかもしれないのだけど、高所恐怖症のこはねが木に登ってひづめを応援する場面でおいおい泣いてしまった。これあれだ、某けもフレ終盤でかばんちゃんを助けるサーバルちゃん(火が苦手なのに火のついた紙飛行機を飛ばす……)がどこかでオーバーラップしてしまったのではないか……と書きながら非常にエモくなってきてしまった。短いですがおしまい……。

 

『アイカツフレンズ!』第21話「広がるハーモニー♪」感想(メモ)

はじめに

 オープンキャンパス(とプロダクション探し)のために上京したぼっちご当地アイドルがOC中に拗ねてしまったけど「フレンズ」の素晴らしさに気付くことができましたメデタシメデタシという回(雑)。

 夏休み終盤、もしくはもう二学期が始まった子どもたちのなかに、友達づくりで苦労している子がいるとしたら、ちょっと酷な話でもあるかな、と思ったところはある。(もちろん、勇気をもらった子もいるだろう。)おじさんは「うう~~~涼香ちゃん……最近丸くなったみおの代わりにおじさんと傷を舐めあってくれ……」みたいなお気持ちになった。

 新キャラクターがたくさんでてきた回でもあった。ざっくりとまとめると、 新海リンナ、真波マリンの二人はベイビーパイレーツというフレンズを組んでいる。強い。能登かがみは石川県出身。OC中に勝手に抜け出してメイク道具を触ろうとしてケン・マユズミにお叱りを食らいかけたが、ケンの弟子となる。メイク好き。伊勢涼香は三重出身。詳細は後述。湊玲子はみお母、デザイナー。

 海老原なこ(名古屋=海老)、能登かがみ(石川=能登半島。あと鏡餅が独特?)、伊勢涼香( 三重=伊勢神宮とか。あと鈴鹿サーキット。)という感じでご当地ゲストキャラの名字の識別ができる ようになっている。今回は主に伊勢涼香についてまとめたい。

伊勢涼香、ご当地アイドルではあるけれど……

 伊勢涼香はどうやら地元に友達がいないらしい。「ご当地アイドル」と名乗ってはいるが、上京してプロダクションを探しに来ており、(島田の目からは)上昇志向、中央志向が強そうなタイプに見える。

 さて、OCの出し物としてラブミーティア、ハニーキャットらによるスイカ割りが行われ、スイカがめちゃくちゃにされていくなかで涼香は「フレンズ」の極意を否応なしに注入されていく。(なんだこのセミナーは……。)頑なだった涼香だが、あいねとの共同作業では笑顔で終わっているので、まあ満更でもないのだろう。とはいえ一転して体育館を抜け出して林の中へ。

 今回のあいねは涼香に対する心理的な距離の詰め方が本当に下手くそだったと思う。仕方ないといえば仕方ないのか……。その点、みおは自分の経験を下敷きにして、涼香と対話することが出来ている。涼香に話しかける場面でも、きちんと(まずは物理的に)距離をとっている。頑なな涼香の心を開けるにあたって、押してもダメなら引いてみな、という……(たぶん違う)。

 ケンさんとたまきさんが、みおは変わったと言うとおり、ひとりで過ごしていた頃のみおはもういない。ひとりで過ごすこと、「ひとりの方が楽」というある意味での「正しさ」を理解はしているが*1、それでもみおは「出会いは人を変えるのよ」という言葉を彼女に伝えたかった。

 出会いが人を変えるというのはおそらくこのシリーズのメッセージのひとつだと思う。2クール目もそろそろ佳境に差し掛かり、白百合姉妹の話も動き出しそうななかで、改めてこのシリーズで何をしたいのかを示す話であったのかなと思う。ある意味では映像ではなくメッセージを通しての総集編でもあったのだろうか。

 さらには、涼香をこのシリーズの世界(観)に迷い込んだ人と想定するならば、涼香はこの回で作品をナビゲートする役割を背負わされていたのだ、とも考えた。

 さて、三重からはるばるやって来た涼香は戻ってから最高のフレンズを組んで見せるとピュアパレットの二人に約束をする。彼女の自己規定は「ご当地アイドル」で「地元に友達がいない」というなんともチグハグなものだったのだけど、これでこれから先の彼女にとっての地元、そして「ご当地」が意味を成すものになるのだろう。(ご当地アイドルなのに地元に友達がいない、というのは矛盾した話ではないのだけど、プロダクションを探していたという発言を見るに、地元から抜け出したかったふしもありそうな。)

 うまく言葉にすることはできないのだけど、みおとあいねが住んでいる生活圏のことを考えたとき、みおにとっての「地元」はあいねと出会うまでなかったのではないか、という気がしている*2。ただ生活をするだけの場・空間が「地元」となるためには、つまらない話で恐縮だけど、ある程度そこで同じように生活をしている人との関係がなければ成り立たないのではないか。「地元」というのは結構あやふやで、人と人が織りなす関係と意味の世界なのかな、と妄想している。「空」が単にあるのと、「同じ空の下」という意味付けがなされるのでは大きな違いがある。

 この節の最後にひとこと。「きついこと言っちゃってごめん」と涼香があいねに謝る場面がある。ここであいねが涼香に対して一言でも「察せなくてごめんね」と言ってくれれば印象は違ったのになという気はする。まあ、涼香が拗ねていただけ…という話なんだけど、少しもやっとする。こういうこと考えちゃう自分の陰キャの性分が嫌ですね。

『ラブミーティア物語』の読みをめぐって

「色白、敏感肌」のみお、同年代の男子に免疫が無い。azatoi。

 能登かがみは『ラブミーティア物語』神城カレン編第四巻第六章「伝説の誕生」を即座に言い当てることのできる猛者だった。ここで感じたのは、『ラブミーティア物語』を読み込んでいる者同士でも着眼点、読み方は異なりそうだな、ということ。一方では「フレンズ」の結成に焦点を当てることもあるだろうし、他方では「メイク術」の秘訣を探ろうと手に取ることもあるだろう。 

 『ラブミーティア物語』はアイドルを目指す、またはスタッフを目指す子たちにとってのチガカワを惹起させる媒体だと思う。上記の話だけだと、本の読みなんてそんなものだろうと思われるかもしれないが、正史、ひとつの正解やノウハウではなく、素敵な嘘、「物語」として流通しているからこそ、多層的な読みと夢の可能性が孕まれているようにも思う。(むろん、素敵な嘘自体の是非はあるだろうし、また物語の多層的な読みや着眼点が「トンデモ」に陥っても仕方ない、という身も蓋もない話もあるだろう。)

 

その他

:仕事が詰まってる中でもオープンキャンパスに駆り出されるピュアパレットとハニーキャット。搾取だ……。
:ベイビーパイレーツの話が出てもきょとんとしているあいね。情報・データとしてのアイドルには関心が無いのか。
:あいねが涼香の「たいしたことない」を肯定する場面。ある意味では客観的だとも言えるし、口喧嘩は買わないという彼女なりの防衛策にも見える。ハニーキャットがベイビーパイレーツと売り言葉に買い言葉でばちばちやっていたのとは対照的かもしれない。
:ケンさん、たまきさんのやりとり
ケンさん「嬉しいね。みんながどんどん素敵に変わっていくのって。」
たまきさん「ええ。この仕事の醍醐味ですね。」
ぼく「女児アニ視聴の醍醐味ですね(メガネクイッ」

:ダイナミックスイカ割り。もったいないよ。夜のパーティでおいしくいただ
きました。

*1:「わたしは異色 わたしだけでいい それもとても大事なアイデンティティ

*2:みお母が「学校に行くのがますます楽しそうで」とあいね母に言っていたが、「ますます」というのに引っかかった。あいねと出会う前は楽しそうにし ていたのか?

『アイカツフレンズ!』第20話「ラクロスorフレンズ!」感想(メモ)

はじめに

 スターハーモニーカップ終了。19話の続きでハニーキャットどうするか……という回。過練習のなかで「ファンと向き合えなかった」二人だけれど、「負けから何を学ぶか」ということで、列島縦断ファンミーティングツアー―嵐の始まり―を開催することになった*1。ファンミーティングに向けての特訓とラクロスの合宿が被り、エマが「悪戦くとぉ」(byおけまる)する流れとなり、結果、一度はラクロスを捨てようとしたエマだけれど、舞花とのラクロス対決により考えを改めることとなる。

 この回は舞花とエマの後輩・先輩文脈・馴れ初めがひとつの話の肝だった。1年前、「エマ先輩」の導きによって、ダンスもモデルもどちらもやるという決心がついた舞花にとっては、エマは「憧れの先輩」である*2。そして、ラクロス対決を経たエマも「いつまでも憧れてもらえる先輩でいたい」という思いを舞花に対して顕わにする。

 「何かを変えるっていうことは何かを捨てることじゃない」というエマのセリフがあらわすように、二刀流でやっていく決意を新たにするエマ、そしてそれを支えていく心づもりの舞花。以下、感想を箇条書き。(18話、19話は気が向いたらまとめたい。)

感想箇条書き

 ・ラクロスの試合とファンミーティングが被らなくてよかった(そこはたまきさんの調整手腕の見せ所だろう)。「どちらも捨てない」という方針を示してはいるが、今後もどうなることやらという不安は尽きない。冬にもスターハーモニーカップがあるということなので、おそらく冬はハニキャが優勝しそうだけれど(あ、でもリフレクトムーンもいるのか)、もう一波乱ありそうな。

・素人の舞花がラクロスをやってケガをしたら……と思うと相当ひやひやした。体を張ってでもエマを止めたかったということだと思うのだけど、結構無茶をさせる。(エマは舞花に対して「ラクロス舐めとんか!」って張り倒してもよかったのでは(過激派)。)そういえば、なぜエマはラクロスに入れ込むようになったのか。このあたりの経緯もぜひ掘り下げてほしい。今回エマの部屋と部屋着が出てきたけれど、エマのプライベートの領域を少しずつ開示していく布石のひとつになってほしい。

・先輩・後輩文脈で、「私の一番のファンの舞花」というエマの言葉が出てくるが、若干まだ実際のファンの方を向ききれていないのではないか、という気にもなった。ところどころ、ファンに対する思いやり(二刀流を応援してくれているファンに対してや、ファンミーティング会場でファンの顔を見て……のくだり)は示されているのだけど、事実上のファンの立ち入ることのできない私領域で、言葉遊び、ものの例えとしてであっても「一番のファン」という価値づけが行われることに対しては不用意ではないか、という気がした。(これは潔癖すぎるお気持ちで、理不尽なコメントだと思う……。)ということで、ハニキャの結びつきが強すぎることが存外に脆さであることは変わらないようにも思う。

ラクロス対決中のあいねの「なんで仲良しの二人がこんなことに」というセリフについて。14話の「本当のベストフレンズならぶつかったって良いんだね」というあいねのセリフを踏まえるのであれば、ハニキャのラクロス対決を見ても「あ~ぶつかりあってますね~良いですね~(目がきらきら)」ということにはならないのだろうか?まあ、シリアスな雰囲気のなかでそんなこと言おうものならサイ○パスに思われそうだけど。おそらく、14話的には「友達って良いな」という前提のもとでぶつかりあっても許される、という話で、今回はその前提が覆ってしまいそうにあいねには思えてしまったのかな。

良かった場面

 ・エマ部屋・エマ部屋着。壁は星やひまわりの模様があしらわれている。照明もひまわり。部屋着のスカート、ツインテールの広がりにあわせるように寝転んでいるなかでふんわりとしている。しんどい状況、しんどい顔のなかで、相当気を緩めている様子?

・二人の練習シーン。昼はマネージャーとして部員の洗濯物を干す舞花。白いTシャツとタオルが青空のもとではためいている。(洗濯バサミで止めなくて大丈夫?)充実感溢れる舞花の顔が映る。次に夜の合宿所の外観。合宿所の窓に明かりが灯っている。昼間のタオルの形と窓の形が頭のなかで地続きになる感じ。タオルと窓の視覚的な重なりについて、タオルは舞花とラクロス(部)をつなぐ窓のようにも思えた。続けて合宿所の明かりを頼りに練習するハニーキャット。難しい動きをしてはいないが、合宿所の明かりと二人のシルエットのメリハリで影絵のようになっている。

・書き文字の特徴。あいねは丸文字?みおはまあ、普通。舞花は達筆系?エマはでかい(フリップでは)。結構形を崩さず基本に忠実な感じがする。

・月野ツカサちゃん。顔が良い。今日はね、顔が良い~レインブーツでしょ顔が良い~(某プリキュア替歌)。

・その他、資料集。

【雑誌の表紙】
Preview…(※右側見切れて読み取れず)
アイドル専門雑誌 月刊iDOL 月刊アイドル
■特集 ゼロから始めるアイカツ!
日向エマ 蝶乃舞花 ハニーキャットの二人が思い描く未来――
2ヶ月連続表紙
HoneyCat(※ロゴ)
二人のソロ活動から結成
そしてベストフレンズレアドレス
全てを語り尽くすハニーキャットの全軌跡

*1:舞花的には「ファンまつり」とも言う。東映まんがまつりみたい。

*2:当時はエマも「舞花ちゃん」呼びだった。

『カメラを止めるな!』(2017)感想

 「ゾンビ映画(A)を撮影してたら本当にゾンビが…」という設定のゾンビ専門チャンネル用番組(B)を撮影するなかでのドタバタを描いた映画(C)ということで、見かけたところによると、『ラヂオの時間』や『サマータイムマシンブルース』のような感じらしい。(どちらも未見。)

 ちなみに、僕は『トゥルーマン・ショー』を思い出した。だいぶ入れ子構造としては違う気もするけれど。

 以下、いくつか気になった点を備忘録として残したい。

 

 日暮隆之が監督役をやらなければこの番組はどうなっていただろうか。
 
 作中では、「作品」か「番組」かという対概念が出ていたように思う。ある監督、ある役者にとっての「作品」である前に、「そこそこの質」で納期に間に合う(加えてトラブルもない)「番組」として成立しなければならない。

 トラブル無くワンカットの撮影が終わったとしたら、それは当然「番組」として成立する。しかし、実際は日暮と日暮の妻の晴美が役者として出演することになったうえ、途中からは娘の真央が要所でディレクションを採るようになる。さらに、細田学の泥酔、山越俊助の脱糞、壊れるクレーンカメラ……等、数々のトラブルに見舞われる。

 これらのトラブルを、放送中止にすることなく乗り越えていくことで、結果的に「番組」として成立したばかりか、「作品」へと結実していく様子に見応えを感じた。

 もちろん、成立した番組は、不自然な演出(急に晴美の趣味の話になる、撮影の谷口智和が動けなくなり地面に固定されたままのカメラ、松本逢花と神谷和明のラスト場面の引き伸ばし等)もあり、お世辞にも洗練された出来ではない。(元々「そこそこの質」しか求められなかったとはいえ。)だから、視聴者にとっての「作品」になり得るかどうかは実際のところ微妙かもしれない。

 しかし、紛れもなく役者やスタッフにとっては「作品」として成立しているはずである(自信は無い)。「番組」として成立させるためのギリギリの綱渡りの攻防戦をくぐり抜けたからこそ成立した、ある意味では奇跡のような「作品」。とはいえ、スタッフにとっての「作品」であるかどうかは、実際のところ視聴者には関係無かったりするのだろう。(プロデューサーの二人もろくに期待していない始末である。)

 象徴的なのは、壊れたクレーンカメラの代わりの組体操であろう。その危険性から昨今批判されることも多い組体操であるが、なぜか胸を打つものがある。これは自分も組体操をやらされて育った故の刷り込みだと思う。ある意味では、組体操的なアマチュアのやり遂げる感動と似たものを感じているのかもしれない。それこそ、組体操の当事者としてだけでなく、運動会のホームビデオを眺めて涙する父親のような感動の在り方かもしれない。(組体操、そして日暮と娘・真央の肩車は、幼少期の二人の肩車と重ねられる。)

  「本物」を求める家族の姿勢が垣間見えた。
 おそらく妥協して仕事をこなす父と、妥協をしないために軋轢を起こしうまくいかない娘、そして役に入りこんで我を忘れてしまう俳優時代の経験を有する母という、演じることや映像をつくることの狂気にとりつかれた家族の物語でもある。

 穏やかで現実的な家族生活の様子の裏側には、語られてこなかった、そしてこれからも語られることは無い様々な作り手の苦悩が横たわっているのではないかと勘ぐってしまう。


  この映画そのものを「作品」でなく「番組」として捉えることはできないか。「作品」ではなく「番組」として考えたら、ドリフ大爆笑の舞台装置で破壊というか滅茶苦茶なことをやっているのを、実家の居間で見て笑ってたあの頃(といっても最盛期でなく90年代の特番)を思い出した。映画館の観客と比較的同じ場面で笑う、周到に誘導された一体感みたいなものがあった。やはり後半の種明かしパート、怒涛の伏線回収パートでは、そこここから笑い声が漏れていた。

その他

 劇中のゾンビ番組では、ヒロイン役が泣きわめきながら逃げているその背後を舐めるように撮影している箇所も多く、人によっては性的な興奮を覚えるかもしれない。撮影の特徴について語ることは出来ないのだけど、やはり劇中劇での画面のブレ具合で酔ってしまう人もいるのだろうか。

 

 

dieinselisland.hatenablog.com

 

『アイカツフレンズ!』第17話「運命の出会いは月の導き」感想(メモ)

 白百合さくやのペンギンカフェでの挙動を見て「サブウェイとかスタバが苦手なタイプそう」と思った。自分はサブウェイもスタバも滅多に行かないので、完全にイメージで言っていますが……。ちなみに僕は遠い昔ドイツ旅行でケバブ食べることになった時に、野菜の単語が何もわからないので「alles(全部入れて?)」で乗り切ったことがあります。乗り切れていない。

 メニューを見ながら「えっと、その、どれも……」というさくやの性格は、一見優柔不断そうに見える。「どれも……」の先に続く言葉を聞きたかった。「どれもおいしそう」なのか?「どれもまずそう」なのか?(後者はさすがに無い。)

 もしここで「どれにしようかな?」という言葉をさくやが発したのであればどうか。その言葉は何かひとつを決めること前提の言葉だと思うけれど、主体的に何かを決める代償として、選べなかった無数の選択肢が浮かび上がるだろう。

 「どれも……」という言葉には、まず主体的に物事を決めにくい性格が、次に選択肢を残しておきたい思い(あるいは何かを捨てることはできないという優しさ)が含意されているように初見では感じた。

 とはいえ、後述のように、さくやには一歩を踏み出す力はある。むしろ、判断のタイミングやテンポの合わなさに力点を置いて見た方が良いのだろうか?一般的な話として、注文どうなさいますかと聞かれて、時間かければ決められるけど、後ろに並んでたりしたらそういうわけにもいかないし……。(ペンギンカフェはガラガラだったが。というか、あいねちゃんが声かけるタイミングが早すぎたのでは。) 

 さて、仮に主体的に物事を決めにくいのだとすれば、彼女の「決められなさ」は、『満月の上で逢いましょう』におけるさくやの自己犠牲(私さえいなければ地球と月は争わなくて済む/「好きだからしょうがない」)に帰結するのだろう、という気がした。決めなければいけないくらいなら存在を消す、みたいな。

 後者について、仮に選択肢を捨てることのできない優しさがあるのだとするなら、「お二人と一緒だと、なんだかとっても良い気分」という17話のさくやの最後のセリフからは、あいねとみおのどちらも捨てがたいという、ポリアモリー気質、たらしこみ気質を感じることもできるだろう。飛躍。

 

 結局、ペンギンカフェにてさくやが頼んだのは、あいねに勧められたトマトバジルチーズのスペシャルサンドイッチであった。これもまたひとつの「導かれ」た結果である。

 主体的に物事を決めにくいことは必ずしも悪いことではない。ふんわりとした話になるけれど、「自分はどうしたいか」という決断を促される局面で適切な選択ができる人がどれだけいるのだろうか。占いであろうと何であろうと、「導かれる」ことで運命が動き、局面が切り開かれることもあるだろう。(とはいえ、政策決定の際に占いをされてはたまったものではない、かもしれない。卑弥呼か。)

 あいねが「どのコーデでチャレンジすれば良いか、わかんなくなってきちゃったよ」と迷っているときも、打開のきっかけとなったのはさくやの占いであった。

 そして、さくや「私はお月様の言葉を聞いただけ。運命を導くのはお二人自身です。」というセリフからも、「導かれ」た後にやっていくのは自分しかいないのだということが示唆されている。やっていきましょう。

 オーディションでは、さくやの言った言葉をみおがそのまま返す場面がある。

さくや「お二人に励まされ、無事、通過できました。」
あいね「あたしたちはちょっぴりお手伝いしただけ。」
みお「面接審査はさくやさんが自分で乗り越えたんですよ。」

 ここからは勝手な思い込みなのだけど、アイカツフレンズ!の世界は、おそらくずば抜けた超人のいない、ある意味では地に足のついた「悩み」のある世界なのかな、という気がした*1

 「導かれて」「励まされて」と、「~される」というのは受け身な印象を持ってしまうのだけど、支えてくれる人がいるからやっていけることもある。

 さらに、これまで言ったことをひっくり返すようだけど、さくやが「主体的に物事を決めにくい」という読み込みはあまり強くしない方が良い、とも実は思っている。

 例えば、「明日、日の登る方角にある話題のカフェを訪れれば、最高に素敵な出会いがある。」というさくやのセリフがあるアバン。「ですが、明日だと一人でおでかけしなければ……」と、さくやはためらいを見せる。(オーディション同様、本来なら付き添いがいるのだろうか。)

 ここで占いの結果を信じ、「一人でおでかけ」したのは他ならぬさくや自身である。必ずしも主体性が無いわけではない。付け加えて言えば、「占いをする」という行為に主体性が無いと言えるだろうか?ということを無限に考えていくと、「主体性」とは、「意志」とは、「選択」とは、という、果ての無い問いに突入してしまいそうになる。ここでは、便宜的「主体性」や「意志」を伴った選択の水準を分けて見ると良いのかもしれない。というか、状況次第で変わってきますよね、という話だけなのかもしれない。

 

  「へっ、月の裏側?」「でも月から来てくれたってことは、さくやさんって宇宙人?」と聞いたときのあいねについて、天然ボケなのかなとまずは思った。さくや(ボケ)とあいね(ボケ)で、みおが大変そう。

 天然ボケ以上に、あいねがさくやを「宇宙人」と規定したセンスに、どことなく身も蓋もない現実主義を感じてしまった。月というある種の「設定」のミステリアスさをすっ飛ばして、そもそも月とは「宇宙」だよね、「ロケット乗るよね」という発想の連鎖には、あまりロマンが感じられなかった。オーディションでも「宇宙遊泳」があるかもしれないということで、この現実主義が結果的に身を助けることとなる。(オーディションに宇宙遊泳があること自体は非・現実的、だけど。)

 そう考えると、みおは植物図鑑を好んで読んだりする(=自然科学に親しむ素養がある)一方で、占い(=非科学的、と言いたいところだけど、少なくとも植物図鑑よりか実証性に欠けるとだけ規定しておく)にも親しむロマンチストな一面がある。(ついでに言えば、ラブミーティアのゴシップも大好き。)このあたりは切り分けができてるだろう、多分。暴走することもあるけれど……。

 他方、あいねは、あまり占いに興味は無く(少なくとも「月の裏側」を知らないということは占いファンではない)、ラブミーティアも最初は知らず、という感じで、要するにフィクションに対する耐性に弱い側面があるのではないか?(いやいや現実も実はフィクションだよみたいな妙ちきりんな話は置いておいて)フィクションと現実のすっぱりとした切断のできてなさが、天然ボケの正体な気がした。

 オーディションの演技審査後、さくやを見たあいねは「ロマンティックなお月さまの物語が思い浮かんでくるみたい」と述べている。こじつけを言うならば、とりあえず現実の「月」と物語の「お月さま」は違うことは理解しているのだろう。

 

 みお「でも、映画の主役の座を射止めるのは、私たちピュアパレットですから。」「さくやさんの占いは絶対に外しません。そのためにも、正々堂々の勝負で、必ずさくやさんに勝ってみせます。ですから、安心してください。」

 以上のみおの発言に対し、あいねは「ん~?」という困ったような表情をする。この時にはあいねはみおの発言に対する違和感を言語化できていない。17話の最後で、あいねはようやくみおに対する違和感を言語化する。

 みお「占いに傷をつけないためにも必ず的中させてみせます。」ここではあいねは「それはみおちゃんのセリフではない」と言う。

 あいねのツッコミは、占いの責任はあくまで占った者が持つものであるという現実主義?を反映したものに見える。(ちょっとここはどういう意味で「みおのセリフでない」と言っているのかイマイチしっくりきてなかったりする。)「占いはあくまで占いであって、その先は自分で乗り越えるもの」という了解が三人の間にありそうなものなのに、「月の裏側」が好きすぎて倒錯した発言をしてしまう。占いの結果に対して「導かれ」た者が責任を持つ必要は無いだろう。

 そうすると、先にあいねにはフィクションの耐性が少ない(触れなさすぎ)が故に天然ボケに至ると無茶苦茶なことを言ったのだが、みおは逆にフィクションに触れすぎていることで暴走しボケてしまうということになるだろうか。

 あと、この場面はフレンズの関係性が少しずつ深まっている場面であるようにも思う。時間はかかっても、違和感はしっかり突っ込んで伝えていく、なだめていくという一連のやりとりができつつあると言えるだろうか。

 

その他

:次回予告のハニーキャット同棲予告やばすぎひん?
:占いで「話題のカフェ」ってどう導きだすの。
:「明日だと一人でおでかけしなければ」微妙に五七五に被せてきた。
:やっぱりチンチロリンがうまそう。白百合さくや博打合同。
:「月の裏側」の管理人。ネットビジネスがうまそう。アフィリエイトで儲けてそう。
:さくやの月に関する練習……どういう経緯ですることになったのか。
:みおちゃんそんなに月の裏側であいねとフレンズを……ってペラペラ言っていいのか。
:みお王子、よかったね……でも本当はみお王子とあいね姫がよかったんでしょ……(ギギギ)。
:月と言えば『かぐや姫の物語』。また見返したい。
:占いの結果のページを間違えていたというのは若干ズコ----となった。
:1話の中でパジャマ、私服、制服、水着、ドレスなどのおひろめやばすぎひん?

 

*1:(追記)いやまあ、みんなほぼトップアイドルなことはそうなんですが、それを忘れてしまいそうになるくらい感情移入してしまいそうになる。

『アイカツフレンズ!』第16話「みお、勇者になる」感想(メモ)

 

 やはり、序盤でベストフレンズレアドレスのオリジナルデザインづくりをみおに任せきりにしていたところは、初見の段階で気になった。

 みおが難しい顔をしているのを察し、励まし肯定するあいねは、内助の功に徹している。しかしながら、あいねの「みおちゃんらしい」という励ましはみおが求めていた言葉ではなかった。

 あいねは「これくらいしかできない」と謙虚に支える姿勢を見せているが、やはりまだみおに対して追いついていない、追いつかなきゃという感覚が抜けていないように見える。

 デザインづくりに何が足りないのだろうか?なぜビッグバンを起こせないのだろうか?ハニーキャットのようなぶつかりあいが足りないが故にビッグバンを起こせないのだろうか?

 学園の中庭のベンチでみおは、ハニーキャットの二人を見ながら、「ぶつかりあいたい」気持ちに気づきかけていたのではないかと邪推してしまう。でなければあのような「ハッ」とした顔はできないのではないか。実は物足りなさに気づきかけていたはずなのに、その物足りなさを解消できるための最短ルート=回り道に思い至らず、デザイン画を重ねながら理詰めで克服しようとしてしまう。

 

 ところで、「ビッグバン」とは宇宙の始まりの大爆発を意味する(ココちゃん調べ)。デザインのビッグバンは起こせないかもしれないが、あいねにとってのビッグバンの原体験が何であったかには思い当たるふしがあり、ミステリーツアーが決行される。 

 「あいねはたまに私たちが想像つかないことを考える」とたまきさんは言うが、あいねの中では論理が一貫しているように思う。少なくとも、フレンズとしてのみおに自分の原体験を知ってもらいたい、そうすれば何か手がかりが見つかるかもしれない、といったところだろうか? 

 さて、二人で回り道をしながらたどり着いた場所は、あいねに最初の「ビッグバン」をもたらしてくれた思い出の場所であった。

 幼少期のあいねは元々引っ込み思案・内気で、河原で石積みをしているような子であった。そんなあいねがトモダチカラに目覚めた思い出の「勇者の橋」。

 バンジージャンプ通過儀礼・イニシエーションのそれと比べることもできるような橋からの飛び込みがあいねにとってのビッグバンの原体験であった。

 (友達はつくりたかったけど声をかけられなかったあいねではあるが、友達を作る必要性を感じていなかったわけではないので、元々の意志の強さみたいなものは持っていたはずで、通過儀礼を通してその意志が実体になったと言えるだろうか。)

 「新しいドレスでピュアパレットにビッグバンを起こしたい。」

 この飛び込みは、みおにとっての「ビッグバン」だけでなく、あいねにとっての二度目のビッグバンでもある。

 あいねは一度目のビッグバンによって広く友達をつくること、自分の力で世界を切り開くきっかけを作った(その後の友達作りマニアは若干水道の蛇口を開けっ放しな感はあるが。みおに「あのアルバムとか作っちゃうあいねが」と若干イジられている)。そして二度目のビッグバンは、ピュアパレットによって世界を切り開いていくきっかけとなった。

 みおも川に飛び込むことによってドレスづくりに足りないものを見つけた。それが「【あいね】よ」である。「二人で一緒につくりあげたいの。」なんか、ゼクシィ買ってこようかと思った。たまごクラブの方が良いですか?

 ハニーキャットのようなぶつかりあいとまではいかないまでも、意見が欲しかった、二人で考えたいというささやかだけども大きな提案をあいねにするみお。

 山のなかで迷子になりかけた場面を見るとわかるように、ハニーキャットほどではないが、二人も考え方、行動のクセに違いがある。ただ、お行儀が良いので正面切ってぶつかることはない。

 今回、あいねとみおが惹かれ合うのは、あいね自身が元々人間関係(といっても幼少期のそれ)で悩むことがあったから、という要素も多少ありそうな気がした。


 ところで、みおにとってのビッグバンは、大爆発というイメージが実はしなかった。すでに中庭で答えに近づいていたのだけど、その答えを川のなかでクールダウンして整理して導き出したという感じがした。そして、みおを導いてくれたのは他ならぬあいねの手であった。

 ここからは話外の妄想になるけれど、みおにとってはまず、あいねとの出会いがあり、次に15話のようなクラスメイトとのかかわりが生じた。そういう意味では人間関係に盆と正月が一度に来たようなもので、良い意味で頭を冷やす時間になったのではないかという気もした。

 橋から飛び込むという意味でのビッグバンは経験していないけれど、すでにあいねとの出会いが一度目のビッグバンであったことには変わりはないと思う。だから、ピュアパレットにとってのビッグバンをシームレスに足並みを揃えて経験できた。

 

  最後に、川に飛び込む場面をケン・マユズミが遠くから撮影していたわけだけど、「なぜ川に飛び込んでいるかわからない」。これは本当だったら我々には知りえないことだと思う。あの川に飛び込むときの一瞬のきらめきと、入水してからつながりあう二人のことは、あの二人にしか本当ならわからないはずなのだから。さらには、ドレスを見ながら「あの日の水しぶきを思い出す」って……吐血。


その他


:相変わらず博識なみお。なんか、理学部とか農学部とかに進学してほしい。
:あいねとみおの体付き比べるとみおの細さが際立つ気がした。みお……。
:プロポーズ(11話)⇒親への挨拶、結婚(12話)⇒新婚旅行(16話)
:あいねの石積みは、賽の河原を思い浮かべてしまう。作っても作っても崩れてしまう、人間関係にうまくいかない様子を表している?また、賽の河原は子供の死を想起させる。山登りも、川への飛び込みも、結構無茶をやっていることに変わりはない。フレンズとして生きていくのは命がけ。川に飛び込んだときにピュアパレットは一度死んで生まれ変わったのだ(違う)。
:この木登りのあいね脚が印象に残っている(引用ということでご勘弁)。

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2018年7月14日(土)『アイカツスターズ!』オールナイト上映会一言感想

 去る7月14日(土)に『アイカツスターズ!』オールナイト上映会に行ってきた。(正式なイベント名は、サンライズフェスティバル2018 光焔  オールナイト『アイカツスターズ!』。)

 当日は夕方過ぎまで労働で、終わってから適当に時間を潰して参加。翌日もなぜか労働で、なぜこんな予定に……。月曜は芸カに一般参加で、よくわからない三連休だった。

 

ゲスト :虹野ゆめ役:富田美憂
     桜庭ローラ役:朝井彩加
     佐藤照雄監督
     伊藤貴憲プロデューサー

 

上映話数:第2話 ふたりはライバル!
     第9話 ミラクルガールズ☆
     第25話 ブロードウェイ☆ドリーム
     第28話 ハロウィン★マジック
     第45話 あこ、まっしぐら!
     第47話 香澄姉妹、対決!
     第52話 狙われたアイドル!?
     第62話 ゴーイング・マイウェイで♪
     第67話 夏だ!プールだ!宝探しだゾ☆
     第78話 ようこそパーフェクトマザー!
     第92話 私たちのエピソード ソロ
     第99話 ふたりの忘れ物*1

 

 トークイベントで、早乙女あこは超人揃いのキャラクターのなかで人間味のあるキャラクターであると評されていたように思う。

 自分も45話の「あこ、まっしぐら!」で年甲斐もなくボロボロ泣いてしまった。あこのような状況に立たされたとき彼女のような決断をできるかどうか、心許ない。

 ある決断が限りなく正解に近いものだったとしても、選ばなかった、残された可能性が自分の未来にどのような良い結果をもたらし得るのか、逡巡し葛藤し続けることは生活の様々な局面で起こっているので……。

 それから、一連の上映のなかで、桜庭ローラの姿に胸が痛んだ。普段、話数順に垂れ流しの鑑賞をしているのだけど、キャラクターメイン回別に流れを追うと新たな発見があるのだろうなと思った。(急いで付け加えると、もちろん今回の上映会は別にローラに焦点を当てて構成されたものではないし、そのようにすると取り上げるべき回は別にあるだろう。)

 関係無いけど1,2,Sing for You!聴いてたら自然に泣き出すようになってきた。 ウッウッ。

 

*1:参照「上映作品|サンライズフェスティバル2018光焔|サンライズフェスティバル公式サイト」http://www.sunrise-inc.co.jp/sunfes/2018/lineups/?id=0714 (2018/7/27 閲覧)

2018年7月21日(土)『三ツ星カラーズ』夏フェスinうえのに行ってきた日記――第4話「なつまつり」上映とトークイベントの感想

はじめに

 7月21日土曜日、『三ツ星カラーズ』夏フェスinうえのに行ってきた。場所は上野公園水上音楽堂。登壇者は日岡なつみさん(琴葉役)、田丸篤志さん(斎藤役)、朝井彩加さん(ののか役)の3人。(そして司会はフロンティアワークスの南原さんという方。)

 音楽堂のキャパは約1000人。当日、それなりに人は入っていたように思う。三ツ星カラーズのファン、各声優のファン、カラーズのイベント開始前の別のイベントを見に来てそのまま残って見ている人たち、なんとなく寄った人たちなどなど。

 ちなみに別のイベントというのはうえの夏まつりパレードのことで、今回上映された第4話のパレードのモデル(というかそのもの)。第4話ではおそらく中央通りのパレードしか描写されてなかったけど、上記の音楽堂、そして上野駅のコンコースでも行われていたよう。

 連日の酷暑で、夕方過ぎとはいえかなり暑かった。入り口でもらったイベント配布用うちわを参加者たちはずっとパタパタ扇いでいた。登壇者からも熱中症に気をつけてと呼びかけ、ご配慮があった。

 イベントの内容は、うえの夏まつりパレードにちなんだアニメ本編の第4話上映、そしてその後の登壇者によるトーク。以下、それぞれ簡単にまとめておきたい。

 

第4話「なつまつり」上映

 この回は先述のとおり、うえの夏まつりパレードが劇中のイベントとして用いられている。やはりスタッフは実際にロケハンにも行ったようだ。

 パレードの話自体は後半にならないと展開しない。前半はののかの姉ももか来襲話。「ササキのパン」が乗っ取られる……とはいえののかが作るパンはよくわからないスパイスが練り込まれてたいそうカラーズには不評であり(琴葉にいたっては手をつけてすらいない)、やはり「ササキのおにぎり」に業態を変えるしか……。

 父親から「店を好きにして良い」と言われたとはいえ、やはりののかよりかは父親のつくるパンの味が分かりそうなのだから、パンを作り続けてくれ……というのがご近所界隈・常連客界隈の思うことではないかな、と思ったりした。一方で、(もか姉から「父親の味と同じものをつくる」「納得できる新商品をつくる」という条件が出されていたうえで)実際にパンづくりにチャレンジしているのはののかの方ではあるから、ももかが上手いこと味のコントロールをしながらののかにパンを作らせれば丸く収まるのでは、という気もした。まあそこは姉妹間の思惑や性格の差があるのだろう(仲自体は良いとはいえ)。

 パレードの話で見るべき箇所としては、結衣と彼女の友人関係がひとつのキモになるかと思った。結衣の小学校の友人は結衣のことを「赤松さん」と呼ぶ。しかし、今回さっちゃんが「赤松さんだって」と茶化したおかげで、結衣の友人から名前で呼ばれるようになる。(通っている学校が違うこともあり、「結衣は私の女」(私の方が結衣のことをよく知っている)という意識がさっちゃんになかったと言えるだろうか(完全に妄想)。)

 この場面の直後に、結衣はさっちゃんに「ありがとう」と言うのだけど、それは友人関係を少し良いものにしてくれたさっちゃんへの感謝であるように思えた。もちろん、実際にパレードを見に来てくれたことへの感謝も含まれているだろう。

 琴葉に至っては、アバンで全く興味の無い素振りをしておきながら、実際にはパレードにいつ結衣が現れるのかを心待ちにしている(逆に言えば結衣が出てくる時間以外は興味が無くゲームをしている)様子もあったようで、なんだかんだ友達思いなのだなという気がした。うう琴葉かわいいよ琴葉。

 お祭り回、そして当日の上野もお祭りということで、ちょうど良いタイミングと場所でイベント上映ができてよかったのではないかなと思った。そういう意味では、カラーズのイベント前のパレードも見ていた方がより臨場感を感じることができただろうし、少しもったいないことをしたかな。

 照明を落とした暗がりのなかでパレードの光景が描かれた場面を見ながら、祭りの音響を聴く。現実そのものではないのは当たり前だけど、現実に少しずつ肉薄していっているなと思った。

 最後に、4話を見てもらえればわかると思うけど、さっちゃんがう○こう○こ連呼する場面は若干苦笑ものだった。約1000人の観客と一緒に大音量で聴くう○こセリフ、気恥ずかしかったのは僕だけですか。

トークイベント


 登壇者が何を話されたのか、覚えていることだけ簡単にまとめておきたい。

 三ツ星カラーズの好きな回という話題で、田丸さんはさっちゃんとさっちゃん母の何気ないやりとりが好きということだった。

 おそらく好きな回に関連する話として、日岡さん(多分)が動物園回に言及していたように思う。上野動物園を作中と同じルートで回ったことはないので回ってみたいという趣旨のことを話していた。

 各キャラの印象という話題について。斎藤は作中で警官の帽子を被っていないのは割とまずいのでは、出世しなさそう、でもずっと街の人を見守っていてほしいという話。また、斎藤は精神年齢がカラーズの面々と同じなので、子供扱いせず一人の人間として見てくれるのが良いという話もあった。「カラーズが(成長して?)ちょっかい出さなくなったら自分で探しに行きそうな斎藤」という話も出ていた。

 琴葉は大人になってアレだとやばい、でもなんだかんだで普通になるかも。さっちゃんは意外に空気が読めるという評価。さっちゃんもおしゃれになってそう?一番やばいのは結衣。高校デビューでイケてる集団に入って髪とか染めそう。結衣のくだりは生々しいやりとりになっていた。

 その他、トークの最初の方だったと思うけど、田丸さんを皮切りに、実はカラーズ不仲なのでは?という話もあったが、逆にツーカーの仲だからこそああいうやりとりが可能なのだ、というまとめになっていた。

 最後、登壇者の子ども時代について。朝井さん、3歳頃、子供用のキックスケーター?乗り物玩具で兄の自転車についていこうとして母親に静止される活発な子供であったという話。フロンティアワークス南原さん(37歳)、小学校の社会科見学で国会議事堂に行ったが、その際議員の出席ランプを勝手に連打してお叱りを受けたという話。

 覚えてることは非常に断片的で間違いもあるかと思うので適宜ご指摘いただければと思います。

最後に

・土日にイベントするの、それが仕事とはいえやはり大変だなあという気になった(そこかよ)。
・地元密着型で息長く残っていく路線を採るのだろうか?2期は難しくとも、単行本附属OVA製作⇒音楽堂かTOHOシネマズで上映会というのは何にしもあらずな気がした(絵に描いた餅)。
・別作品の話題で恐縮だけど、この前アイカツスターズのオールナイト上映会に行ったということもありなんとなく朝井彩加さんを推していきたいお気持ちになってきた(なっただけ)。

 

(2018/7/25 エントリーのタイトルを修正。)

 

 

『アイカツフレンズ!』第14話「ゴーゴーフレンズ!」感想(メモ)

 

はじめに


 いや、14話見て「尊~い」で終わる話で、特に無理して何かまとめなくても良いかな、もう言い尽くされていることも多いだろうし(あと感情の機微に気づいて記述することがそもそも得意ではないという致命的な弱点がある)、という気になったのだけど、まあそれはそれとして自分の備忘録として気になった点を簡単に残しておきたい。

 

みお

・フレンズのあり方についての認識
 エマ、舞花がドレスづくりにおいてお互いに相手の良さを残したいと思っている点に理解を示しつつも、今回ばかりはどちらかが譲らないといけない認識を中盤で示している。

 しかし、ハニーキャットのブランド発表会とステージを見て認識を改める。「譲らない。まとまらない。個性をぶつけあってお互いを引き立てる。こんなフレンズの形があるなんて。」

 先輩カッポー見て子作りドレスづくりに目覚めるやつ。

・一体どこから見ていたのか……
 舞花のステージ後、あいねとエマの相談が終わったところでスッ……と背後からやって来る。タイミングが良いですね……。いやまあ、みおもステージ見ていたのかもしれないんですが、夕方まで見張ってたんですか……。エマと抱き合うあいねを冷たい眼差しで見ていたんですか。余談だけどエマとあいねが抱き合う場面で鐘が鳴って笑ってしまった。

 13話の楽屋であいねとミライがキャッキャしている場面でのみおの一瞥をも思い出した。

 

あいね


・あいねちゃんって嫉妬とかするんですか?
 ハニーキャットとピュアパレット動画再生数100万回と5万回という圧倒的な差について。

 「ふたりのフレンズが人気で嬉しいな」ってなかなか言えないことではないか……。聖母なのか。嫉妬とかしてみてよ……。一応今週のアイチューブ回ではアイドルとしての知名度の無さについて若干の焦りを覚えている様子。

 

・能天気あいね?
 ハニーキャットのステージ後の「やっぱり友達っていいな。」にはどことなく能天気感が漂っていた。みおの決意というか高めの意識とは若干落差がある。

「本当のベストフレンズならぶつかったって良いんだね。」

 今後二人でぶつかり合うことがあってもこの線で回収されてしまいそうな感じがある。

 

千春さん


 結婚してください。白衣になりたいです。というかあれは白衣で良いんですか。ジャケット?今更ですが。保健室の先生っぽくて良いですよね。

 エマ、舞花の仲裁には入るが「どちらかに合わせなきゃ」という認識を持っており、この認識はみおと同じ。 デザインやってる者同士で通じ合うものがあるのか。

 仲裁も結局あわわわするだけだったが、担任とか任せたら割と学級が大変なことになりそう(教員ではないが)。

 

エマ


「私が舞花に合わせるよ。それなら問題無しでしょ?」


 ここの満面の笑顔が少し悲しかった。結果、舞花に譲ることがケンカの引き金になる。空気を読む性格が災いしたとも言える。
 こうして自分が引くことで……であきらめたことがいくつかありそうな気がしてきて若干暗い気持ちになった。

 

・エマの身長
 話が飛ぶが、どうやらエマの身長は156cmらしい。想像以上に同世代の平均身長だった。もっと低いイメージを持っていた。
 
 時たま見せる臆病さ、消極さ、一歩引く姿勢が小さく見せる効果を持たせているのかとも思った。(小動物壊しちゃいそうで苦手という性格も踏まえて。)エネルギーはあるのだけど、どこか発散しきれていない感がある。
 
 身長について、そもそも、舞花(160cm)、カレン(162cm)、ミライ(165cm)は同世代の女性と比べると身長は高い(だいたい157cm前後)。6人の絡みのなかで必然的に小さく見えてしまうのだろうか。

 

舞花


・セリフまわしについて
 割と失礼な話だとは思うのだけど、存在自体がおもしろキャラな印象を持たせてしまう気がしてきた。

 「舐めるのは飴だけにして」を無理にねじ込まなくても……という気にはなった。一方で「盛り下がってるじゃない」は使い方としてうまいと思ってしまった。

 「しけたお煎餅みたいな顔して」どんな顔だ(クソリプ)。

 

ナンカヒラメキ草


 ナンカヒラメキ草を採ってきた場面。それ大丈夫なやつですか……。スランプに陥った千春さんがキメそう。今後も謎の植物が頻出しそう。

 

ハニーキャットのステージ

 二人で足シャンシャンあわせるの、アピール以上にハードル高くないですか。

 

その他


 顔の陰影の付け方(中盤の橋のところでのみお)とギャグ顔(フレンズアピールの練習)、表情の付け方の振れ幅が結構大きく、豊かな印象を持った。

 

 

(2018/7/25 エントリータイトルを修正。)